
吉田 宏 氏(東京都体操協会パルクール委員会 委員長)
■パルクールについて
ネットで“パルクール”と検索すると・・・
・高層ビルから高層ビルへ飛び移る映像
・高い所から飛び降りる映像
・コンクリートの上でアクロバット映像 etc…
のような危険な映像がトップに表示され、本来の“パルクール”ではない印象が世の中に先行しております。
パルクールとは本来、フランス語で「道をきり開く」「走る」「跳ぶ」「登る」
私たち人間が本来持っている運動能力を鍛えあげ、芸術的かつ機能的に安全に移動するスポーツなのです。

まさにパルクールはQOL(クオリティ オブ ライフ)と言えます!

吉田氏のルーツ

岩手花巻出身の吉田氏は幼少よりスキーに親しみ、1982年よりプロスキーヤーとして活躍、1990年よりフランスに渡り、スキー界を中心で活動していました。92年のフランス:アルベールビル五輪を現地で観戦、荻原健司氏が金メダルを獲得した歴史的瞬間に感銘を受け、金メダリストの育成を決意。当時29歳、まだメジャー競技でなかったスノーボードでの五輪種目としての可能性に着目し、指導者として選手育成をスタートする。

スノーボード選手の大会成績向上に伴い、選手及びスポンサーのマネージメント必要性を痛感しマネージメント業務をスタート。その間国際大会でも選手を好成績へと導く。

パルクールとの出会い

■最近の活動と将来の展望
・2024年 横須賀市にてTop Of Japan 世界パルクール3種目同時開催を企画・主催
・アスリートのキャリア支援
選手引退後のセカンドキャリアコンサルタントにも着手
・2025年 競泳パリオリンピック100mバタフライファイナリストの平井瑞希のマネジメントも開始し競泳界にも進出
・メディア活動 TVスポーツコメンテーター、ディレクター、スポーツコンテンツプロデューサーとして活動

登山家 栗城史多さんについて(Wikipediaより抜粋)
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で「単独無酸素」を標榜して高所登山を行っていた。エベレストには、頂上からのインターネット生中継 を掲げ、2009年にチベット側、2010年と2011年にネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。2012年に西稜ルートから4度目の挑戦をするも強風により敗退。この時に受傷した凍傷により、のちに右手親指以外の指9本を第二関節まで切断。2015年の5度目、2016年6度目、2017年7度目のエベレスト登山も敗退した。2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念し、8連敗を喫した直後の5月21日にキャンプ3から下山中に滑落、35歳の若さで亡くなりました。

栗城さんから吉田氏への言葉:酸素があれば何でもできる。